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徳丸成人さん

Interview_03

「結果に対しての評価をするのは、自分ではない誰かだと思います」

京都造形芸術大学・教学事務室の責任者である、徳丸成人さん。この大学にて行っているプロジェクトⅰ、「アートフェスタin大山崎町」ⅱに6年間携わっている。自分達で考え、物を作っていくというプロセスを、毎年多くの学生達と共に行い続けているのだ。そんな徳丸さんに、学生時代や将来の事、そして人なら誰しも持っているであろう、こだわりについて話を伺った。

数字の世界が嫌で、人に関わる

何かの勉強がしたかった

——まず、徳丸さんの学生時代のお話から伺いたいと思います。学生時代は、何を専攻されていましたか。

 私は九州大学の教育学部出身で、教育心理を学んでいました。九州大学の教育学部は、教育心理や教育行政の関連の勉強をするのがメインなので、いわゆる、教員養成の課程ではありません。その中で私は、小さい子供の発達過程における学習のプロセス等を学ぶ、発達心理を専攻していました。

——では、学生時代から教育関係の仕事に就きたいと考えていらっしゃったんですか。

 いえ、現役の時には将来についてあまり考えてはいませんでした。高校3年生になった時に、比較的理系科目の成績が良かったので、理系に進んだんです。受験も理系科目の勉強に力を注いでいたのですが、秋くらいまでクラブ活動をやっていたという事もあり、受験の結果は散々でした。それから数字の世界が嫌になったという事もあって、浪人後はすぐに文転ⅲをし、人に関わる何かの勉強がしたいという気持ちから、心理学を志しました。

——という事は、当時将来の夢は……。

 なかったですね。私達が学生だった頃の大学受験というのは、将来やりたい事で大学を選ぶというより、偏差値で選ぶような時代だったんです。発達心理学を学んでいましたが、それを仕事にしようと思った事もありませんでした。仕事と学問は別物で、仕事は飯を食うためにやるものだと思っていたので。

——今はプロジェクトの指導等、人と関わる仕事をされていますが、大学時代の勉強と繋がっている事や、していて良かった事はありますか。

 大学時代は、クラブ活動一色でした。混声合唱団に入っていて、その活動が直接今に繋がっているかどうかは分かりませんが、1つの演奏会をやりきるという事は、大変なエネルギーがかかるんです。だから合唱そのものより、そこで得た出会いや苦労、達成感とか、そういう経験値の方が今に繋がっていると感じます。

 

自分で考える事は難しい

——九州大学の教育学部を卒業されて、どうして広告系の会社に就職されたのですか。

 前に勤めていた会社がリクルートという会社で、私が就職したのが、もう20数年前の事。当時はインターネットがなかったので、会社の業務は『リクルートブックⅳ』という本を作り、就職活動をはじめた人に届ける事をメインの事業にしていた会社でした。私は元々、広告関係というよりも、マスコミや新聞、テレビ関係の仕事に就きたいと思っていたので、就職活動もそういう方面の会社を受けていました。その時にリクルートのリクルーターⅴの方にお会いする機会があったのですが、その方に会社見学へ連れられて思ったのは、とにかく会う人が面白かったんです。私もその当時はリクルートが『リクルートブック』以外に何をしている会社か知らなかったくらいなんですが、会う人が面白く、「この会社は面白い」と感じて、リクルートを選びました。

——今は京都造形芸術大学で働いてらっしゃいますが、転職されようと思ったきっかけは何ですか。

 リクルートには、結局20年くらいいたのかな。教育関係の部署にずっといたのですが、当時担当していた内の1つが京都造形大学だったんです。それが1つの縁です。もう1つは、リクルートという会社は皆あんまり長くいないんですよ。会社の社風として、自分のやりたい事を見つけて転職や独立をする社員が多いという事もあり、当時私は40歳くらいで、「そろそろ転職を考えるかな」という時期でした。それまでずっと学校業界の仕事をしていたので、「転職するなら学校関係かな」と思っていた頃に、ちょうどこちらの学校へ来る機会も多く、色々と話をしている内に転職に繋がったんです。

——この大学に転職後、様々なプロジェクトに関わっていらっしゃると思うのですが、「アートフェスタin大山崎町(以下、大山崎PJ)」は6年間やっていらっしゃいますよね。それは当初から徳丸さんが中心になって、毎年指導をすると決まっていたのですか。

 実は私、当初はサポートだったんです。元々、アサヒビール大山崎山荘美術館とこの大学が提携を結んでいて、「美術館と一緒に大山崎を盛り上げられるような事を考えられませんか? 」という話が持ち上がり、プロジェクトの企画を立てました。1年目は別の先生に担当をしてもらい、私を含めた職員数名がサポートに入る態勢で、2007年からスタートしました。そしてその先生が、都合により翌年からは指導ができなくなったので、2年目からは私がメインで皆の前に立つようになったんです。

——プロジェクトを通して感じた事や、新たな発見はありましたか。

 「自分で考える事は難しい」という事です。大山崎PJの場合は、参加者には基本的に企画を始めからおしりまで経験してほしいという思いがあります。私はものを作る専門家ではないので、もの作りの指導はできません。でも、組み立てていくプロセスは前の会社での経験があるので、それを活かして、自分達で企画を練り上げ、ものを作り、完成させていく事の醍醐味を味わえるプログラムにしたんです。参加者は皆、何ができるのか、それまでの経験や習熟度によって異なります。ある人が出来る事を、別の人はできなかったり、人によって違いがあると思います。だけど、「それを乗り越えて達成してほしい」という思いから、参加者には結構難しいオーダーを出しています。「自分で考えて、ものごとを決める」というのは、実はものすごく難しい事なんです。でも「自分で考えて決めた」ことを達成した時には本当に大きな自信に繋がります。

 

言葉だけではなく、行動をベースにその人を探る

——徳丸さんが仕事をしていく中で、何か意識している事はありますか。

 普段の仕事ぶりを、誰か第三者の人が見ていると何か言ってくれるような気がするんです。だから仕事の結果に対して評価をするのは、誰かだと思う事にしています。

——自分の中にある思考や言葉と、実際に表れる行動や結果は全く別ですか。

 思っている事と行動に出る事は、必ずしも一致しているとは限らないので、その人の行動を丁寧に見た方が、その人の本心が見える気がするんです。人が喋っている言葉を大事にはするし、「何を言っているんだろう」と、ものすごく丁寧に聴こうとは思いますが、それだけではなく、言葉プラス、その人が普段どういう態度を取っているとか、動き方をするかという事も大切だと思います。

——言葉で表しているだけでなく、行動も追いついてなければいけないと。では、なぜ言葉だけではいけないのでしょうか。

 価値観が違うんですよ、言葉って。価値観が伴って言葉は出てくるので、人それぞれ重みが違うんです。本人が「一生懸命」と言っていたとしても、人によって言葉にかける重さの程度はバラバラです。だから、Aさんが言う「一生懸命」と、Bさんが言う「ちょっと頑張っています」というのは、客観的に見れば、もしかしたらBさんの方がものすごく頑張っているかも知れません。

——確かにそうですね。

 だから言葉だけではなくて、その人が普段やっている行動や過去の行動も併せて見る事ができると良いと思います。その人の言葉だけではなく、行動をベースに探る事で、見えてくるものがあるんじゃないかなと思うのです。

 

自分の好きな事と、それを辞めないという強い力

——では最後に、これからの目標や、やっていきたい事があれば教えてください。

 仕事は、一生懸命したいなと思う。ただ、どんな仕事をしたいとか、こんな仕事をやるために自分のステップアップを考えたいとかっていうのはあまりありません。自分が今やっている仕事こそ、誰かが「コイツにやらせた方が良い」と思って任せてくれている仕事だと思うんです。だとすれば、自分の役割がそこにあるんだろうと。教育関係の仕事って色んなポジションがあるんですが、どのポジションも全部誰かの為になっていると思っているんです。その中でも先生という立場は1番皆とやりとりができて、変化していく学生や、悩んでいる学生を見る事ができる。そんな皆とのダイレクトな繋がりによって、ものすごく大きなやりがいが持てます。私達職員は、直接学生と触れ合う場は通常ならばないんです。でも、実は色々考えているんですよ。そういうひとつひとつの積み重ねがあるから、学校というのは皆だったり、誰かのためになる仕事が多い場所なんです。

——そうなんですね。そういった普段知る事のない思いを聞き、伝えるのも私達の使命だと思っています。

 個人差はあれ、芸大の子達は物を作る事がやっぱり好きだと思うんです。将来どうするのかと考えた時、皆の中には少なくともやりたい事がありますよね。それを続けていけば、何かに繋げて行く事ができると思いますよ。全員がアーティストになる必要はないと思います。好きな何か、この大学で掴んだ何かを将来に繋げて、それで飯を食って行けるようになってくれれば良いなと思っています。

——どうしてもアーティストになりたいと考える場合は?

 うーん、そうだな……。アーティストに本当になりたいと思うのなら、辞めない事。50、60歳でアーティストをやっている人は、やっぱり続ける事を辞めない強い力があったんですよ。途中、誰にも認めてもらえない事が何回もあったでしょう。アートの世界で生きるのはものすごく大変な事ですから、その強い力を持ち続けていた事で、今のポジションにいらっしゃるのだと思います。私は好きな事で飯を食おうという発想はしていなかったので、皆の中にある、そういった事への憧れや好きな事へのこだわりは、単純に羨ましいですね。けれどそれはある意味、苦労の始まりでもあるかもしれません。好きな事があればあるほど、それで生活ができるようにしたいと誰しも思います。でもそれは、正直言うと9割方は挫折をする。それはそれで仕方がないし普通の事なんですが、どこで自分の人生と折り合いを付けるか、これで最後まで生きるのか、そういう現実と向き合っていく部分は必要になってくる。ただ、最後の最後に決断して動くのは、先生でも親でも何でもなく、自分です。自分自身がやると思うのか、思わないのか。本当にやるんだと思うのであれば、今の内から本当に気合い入れてやらないと無理ですよ、特にアートやデザインの世界は。グラフィックデザイナーというたった1つの職業とっても、そんな簡単にはなれません。だから、好きな事があるというのは素晴らしくて幸せな事だけど、「頑張れ」と思いますね。

 徳丸さんに「こだわりはありますか?」と質問した時、私達は何か明確な答えが返ってくると思っていた。しかし、徳丸さんの返答は「あるかもしれないが、意識した事がない」という事であった。私達はその時、大きな衝撃を受けた。なぜなら、人には誰でもこだわりがあると思っていたからだ。「こだわりを探るのであれば、言葉だけではなく行動と共に見る。言葉は、人によって価値観が違うから」。この徳丸さんの答えは、私達芸大生が日々心に刻んでおくべき事ではないだろうか。こだわりとは自覚しているものだけと言うよりも、他者が気づいて初めてそれだと言い切れるものでもある。そしていつの間にか自身に染み付いたそれこそが、きっと、“芸術力”という名に変化し、他者へ発信できる存在になっていくのだろう。(唐鎌なつみ)

Profile

徳丸 成人 とくまる しげと

1963年7月5日生まれ。1983年に九州大学教育学部に進学後、株式会社『リクルート』に入社。一貫して教育関連の事業部に所属しており、主に大学・短大・専門学校を中心とした学生募集広報の企画営業に携わる。2006年には大学時代の専攻分野や『リクルート』時代の経験を活かし、京都造形芸術大学へ転職。同大学でキャリアデザインセンター、プロジェクトセンターを経て、現在は通学部の教学業務、プロジェクトセンター業務を担当している。

ⅰ実際の社会(企業)の中で、芸術による社会貢献ができる人材の育成を目的として行われている。社会に出て行く時に必要となる力=「社会人基礎力」を、学生が身につけていくためのプログラム。

ⅱ地域の活性化を図る目的で、2007年から行われているプロジェクト。大山崎町に散在する豊富な歴史遺産、文化遺産、そして自然を活かしながら、アートと結びつけ、大山崎町の夏を彩っている。

ⅲ理系志望から、文系志望に変更する事。

ⅳ大学に企業の情報を伝えるために、リクルートが発行していた本。

ⅴ人事担当者以外で人員の補充や募集をする、企業の新人採用担当者。

Interview!vol.1 誌面

Interview! vol.1 誌面

本文中の役職、肩書き、固有名詞、その他各種名称等は全て取材時のものです。

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