Interview_10
「僕の作った物を身につけてもらう事で、幸せになってほしいと思っています」
小島 祐二さん
京都造形芸術大学空間演出デザイン学科ジュエリー&アクセサリーコースの教授、小島祐二先生。ジュエリーデザイナーになるまでの経緯や物づくりに対しての姿勢、また私達学生に対して思っている率直な意見、そして小島先生の今後の目標などをインタビューした。
——芸術家を志したきっかけは何ですか?
僕自身は、芸術家とは思ってないんです。どちらかと言えばクリエイター。芸術をやろうと思った瞬間っていうのは、なかったと思います。普通の大学で文学を学び、思想や哲学系の研究をしていて、研究者になろうと思っていました。基本的には、働きたくなかった。
―私もそう思います(笑)
いかに働かないで済むかというのを考えていました。その為には勉強するしかないなと思って。しつけは厳しい家庭だったので真面目にやらないと怒られていました。でもちゃんと勉強をしていたら支援をしてくれる家庭だったので働かないで済むように大学院に進学しようと思ったんです。
——小島先生は大学でフランス現代思想を学んでいたそうですが、何故その道を選ばれたのですか?
当時流行っていたんです。働きたくなくて勉強をしていたのですが、結局大学院にも行かず進学塾の講師をしている内に、今のカミさんに結婚を迫られたんです。茶を濁して逃げているうちに親父に告げ口されました。僕の親は、僕は結婚もしないし働かないだろうと思っていたんですね。ところが結婚もするし就職もするって言っているから、とりあえず結婚はさしてあげようかって感じだったんじゃないのかなって思います。そうやって結婚をし、働き始めました。
ジュエリーデザイナーになるまでの経緯
僕は新卒ではなかったので中途採用で職を探し、働き始めました。丁度、調査機関(市場調査をやる会社)で募集があって、選考が小論文と書いてあったんです。小論文だったら良いかな、どうだろうなと思いつつ試験受けてみたら結構書けたんです。そうしたら合格して募集人数に、集人数に、若干名って書いてあったんだけど100人くらい受けた中で、僕しか採用されなかったんです。ラッキーだったけど、そこに行ったら2日目から徹夜で。
——えー! そうなんですか。
初月から残業が大体200時間くらいあって……働きたくないのに。酷い時は週に1、2回徹夜がありました。新聞社が行う調査とか、商品などについてのアンケートを作ったり、学生や主婦の調査員が回収した調査票をコンピューターで解析した結果にコメントを書いてっていう仕事を3年間やっていました。でもどうしても3年経ったら満員電車が嫌になってきたんです。人を押すのが嫌だったので。カミさんが美大出身だったのでその横の繋がりで僕より8歳上で今でも現役のジュエリー作家の知り合いの方がいたんです。当時僕は、ジュエリー制作を全然やった事なかったけど、そういう人達の所に出入りしていたんですよ。面白い子だと思われていたんじゃないかな。かわいがっても貰っていて、その人に「満員電車乗りたくないんだよね」って言ったら「じゃあうち(アトリエ)くる? 」って言われたんです。「え、いいの?」みたいな。
——そんなひょんなことから……。
それでそこに弟子入りする事にしたんです。基本的にそこで表現や考え方を教えてもらいました。
——ジュエリーに関しての考え方ですか?
物作りの表現と、物作りのこだわり。彼らは学生の時に東京の小金井にアトリエがあったんです。その人達の家に行くと、綺麗に自分たちの考え方で物が統一されてるの。そういう人だったんです。でもとても厳しい人で、僕は泣く思いをした事もありますよ。でもそれだけ自分にも厳しい人達だった。人にだけじゃなくって。そこでいろんなこと教えてもらいました。僕の師匠ですね。
——師匠から受け継いだ物って何でしょうか?
ご夫婦でやってらっしゃったので、物作りの厳しさを教えて貰ったのが奥さんの方。旦那さんのからは、全体の考え方とかを教えてもらいました。非常に頭のいい人達でした。
——小島先生が今ジュエリーを作っていく中で心がけている事って何かありますか?
僕の作った物をつけて貰う事で、幸せになってほしいと思っています。
——では自身の作ったジュエリーを手にとった人に何を感じて貰いたいと思いますか?
感じてもらうのはね、その人それぞれで良いと思うんです。カッコいいとか、色が綺麗だとか、それは何でも良い。それは僕の思う事ではないと思うんです。僕は、美しさだったり、そういう事を目指して
作るけど、見る人は、もう僕じゃないのでそこまで僕はこう見て欲しいっていう風には思いません。
―見る人の自由という事ですか?
自由に評価して貰えば良いと思っています。ただそこで、身に着けて貰って幸せになってもらいたい。そういう風に感じてもらえたらいいなと思って作っています。
大学教授として
——小島先生はどういった経緯で先生になられたのですか?
椿昇先生(京都造形芸術大学の教授)が、突然メールをくれたんです。
——知り合いだったんですか?
いいえ。「ホームページを拝見しました。大学教員に興味はありますか。」みたいなメールがポンっと来たんです。
——凄いですね。それで、引き受けられたんですか?
僕自身、後進に伝えたいという気持ちがあったんです。ジュエリーというのは単純に美しい物とか、奇抜な物を作ったってしょうがないんです。それでジュエリーをやりたい人のための教室を作ろうかって思っていて、丁度その時にそういう話が来たので引き受けました。もし普通に美術工芸の中にそういう物を作りますって事だったら多分断ったと思うんですけど、京都造形芸術大学のジュエリーコースはデザインの中にあって、また同じ学科にはファッションを学ぶコースもあるということで、これは、僕が適任だろうなと思いました。美術工芸とかだったら僕は適任じゃなかったと思います。30歳過ぎてからこういう世界に入っているし、僕がやっているのはあくまでもデザインなので。いつかファッションと一緒になるってこともあるかもしれないし、ジュエリーっていうのは、いわゆるファッションだからという事で引き受けて、ここに至っています。あくまでもデザインなので。いつかファッションと一緒になるってこともあるかもしれないし、ジュエリーっていうのは、いわゆるファッションだからという事で引き受けて、ここに至っています。
——教える立場に立ってみて、今の学生を見て思うことは何かありますか?
あまり偉そうな事は言いたくないんだけど、今の学生は今後僕達よりも厳しい世の中に生きていかなければいけないじゃないですか? 僕達の時には、まだ物が足りなかったんです。今は物が溢れている。だから厳しい世界だなという風に思います。教えるというよりは、一緒に物を作ったり、一緒に物を考えたりとかして指示する事しかないと思っています。
——共に考える事ですか?
君達の世代はよく「ゆとり」とか、物を知らないとかって言われ、揶揄される事もあるかも知れない。けれど、それは時代の中で変わらない事だと思います。僕達も上の世代から「物を知らない」「勉強をしない」と言われていました。日本にジュエリーが来て100年。たかだか100年なので、僕がジュエリーを教えることで日本のジュエリークリエイターがちゃんと育つような地平というか環境を作りたいと思って学校で教える事を、決心しました。
——そうですか。ではこの大学(京都造形芸術大学)の魅力ってどんな所だと思いますか?
まず作家が多い事かな。作家の後ろ姿が見られるところ。
——現役でやっていらっしゃる方々のですか?
うん。作家を、後ろから見るって事がとても大切な事だと思うんです。(作家が教えるというよりは。)作家がイコール、良い教育者だとは限らない訳。でも作品を作る姿を見る事で生徒は学ぶことができます。僕が良い教師かどうかはわかりません。ただ僕は、その自分のやってきた姿を見て貰って、学生と一緒に考えていきたいと思っています。
——では反対に、大学や学生の問題点は何だと思いますか?
これは良い所でもあると思うんだけど、学生のレベルが、割と均一で素直な子が多い。もし強力で、大きい声の人が居たらそっち向いちゃうでしょ? それに対して待てよっていうところの訓練がなされてない。そこに、いささかの不安は感じますね。
——レールを引かれたらその通りに行くという事ですか。
そう。まあその方が大学の中で、学生も楽だし、教師も楽かも知れないんですけどね。でも社会に出たらそんな事ないので。だからもう少し、なんか反発性とかがあってもいいと思う。ただやっぱりこれだけの学費を払わなければいけないので、一概には言えないけれど、ある程度の家庭の子だと思うんです。ある程度の家庭の子で、ある程度のレベルの親で。そうするとやっぱり、環境が似ているから学生達も結構似ているように思います。
——どんどん個性がなくなっているという事ですか?
個性が均一化しているんだと思います。独特さがない、というか独自性がないように思います。それなりにじっくり見て行くと分かるんですけど、パッと見にはわからない。それは多少の違いは度外視してそういう風な物として現代の若い人たちが感じてる事ではあると思うんですけど。でもそれがいけないってわけではないと思うんだけどね。僕達の世代だってそんな事を言われて来たので。
——そういった独自性がない等の問題に対して何か学生が出来る事ってありますか?
独自性がないように見えるのは、やっぱり物を知らないからだと思うんです。そうするとやっぱり物を知った方が良いと思います。でも物を知るという行為は単純にこれが何だって事ではなくて、その関わり合いを知るって事だと思います。だから、一つ物を知ったら、それに纏わる全ての事を知るべきだと思います。問題の設定能力が大切ですね。それさえできれば、独自性は出るはずです。
——探究心が必要ですね。
まさにその通りです。ある先生と話していて、「いや探究だよね」って。僕達の事の問題として、やっぱ探究する気概っていうか、心とかそういう所が違うよねっていう話をした事があったんです。確かにそうかもしれない。探究心だと思う。その探究心っていうのは繋がりを掴むことですね。
——そうですね。では最後に今後の目標は何ですか?
教え子と一緒にやっているブランドⅰがあります。その中で表現者として、世の中に一緒に出るという事でまた新しいジュエリーの形ができると思います。この学校の中での目標はジュエリーとかアクセサリーっていう物の裾野を学生と一緒に広げて行く事です。僕は服を着る事と同じ様に本を読む事もファッションだと思っています。ファッションとは簡単に言えば自己表現です。何を着ていたり、読んでいたりいたりかで、その人がどの様な人か想像ができる。要するに内面を作ることだと思うんです。そう言ったファッションという考え方の中にジュエリーも存在することができればと。そしてそういった事をきちんと学生達に伝え、卒業生達が僕の考え方を踏襲(とうしゅう)しながら社会でのジュエリーの裾野を作って行ってほしいと思っています。その土台を、土台を作ってあげるっていう事が1つの目標です。その為に大学に来て10年間は教師をやらなければいけないだろうなと覚悟しています。
——ありがとうございました。
今回小島祐二先生にインタビューさせてもらい、物づくりの基本的な考え方である、自分が作った物で相手に幸せになってほしいという気持ちが感じられた。そこには物や人に対する愛があり先生からはその愛が滲みでていた。また、次の世代に繋げようとしている姿勢に感動し、私達もその意志を受け継いでいきたいと思った。(中西未麻)
Profile
小島祐二(こじまゆうじ)
文学の情念的思想領域を研究していたがマーケィング調査機関をへて、パートナーの誘いもあってファッション業界へ転身、洋服以外のデインに携わる。その後ジュエリーを主たる表現領域にして、1996 年パリのクリエイターと共に展示会を開催。1997 年活動の場を日本に移し新宿伊勢丹に出店。2007 年より京都造形芸術大学で教鞭をとる。新しいファッション=生き方の表出、あるいは新たなフレーミングの創出として幅の広いクリエイションを目指している。
ⅰRathio (ラティオ)
2011年発足(2010年度京都造形芸術大学卒業生で設立
取材時の様子
Interview! vol.1 誌面
本文中の役職、肩書き、固有名詞、その他各種名称等は全て取材時のものです。