top of page

Interview_11

徳山 詳直さん

私たちは何のために芸術を学ぶのか

緊張した面持ちで挨拶をした私は、理事長の落ち着いた静かな間を感じ、そのただならぬ存在感に圧倒された。学生運動に全てをかけた青年期、世界の全ての人々の幸せのために命をかけて闘い続ける今。常に前を見据え立ち止まる事なく歩き続ける徳山理事長に、混沌とした時代を生きる私たちはどうすべきか聞いてみた。

取材:チームUB 文:青木美穂 編集:宮崎真緒

 

何でも好きにしてちょうだい。格好をつけることはないから。

——ありがとうございます。早速ですが、徳山理事長の自叙伝『藝術立国』を読ませていただきました。自分とは何か、生きる事とは何かと考えさせられました。また同時に、使命感を持って生きている姿がとても印象的でした。

 ……ちょっと恥ずかしいな。でも、そう言ってもらえて嬉しかった。自分の為ではなく君達国の人の為に僕は今、命がけで生きている。ちっとも命は惜しくない。

 

正義の戦い

——理事長の最近の出来事を教えて下さい。

 6月の初め頃に韓国の藝術総合大学の学長とお会いしました。実はその時、料亭で立派な食事を並べて僕にご馳走しようと計画していたみたい。でも僕はその場には行かなかった。折角の気持ちを怒るわけにはいかないが、僕はご馳走をいただく為に韓国に行ったのではなく、食べ物も食べられない子供達をどうにかしようという話をしに行ったから。ご馳走を出してもらっても僕は食べられない。食べたいと思わないんだ。

——今するべき事はご馳走を食べる事ではない、と。

 だって12億人もの人達が貧しくて、食べられなくて、生きていけないんだよ。テレビで観たことがあるかも知れないけど、南アフリカや南アメリカ、東南アジアの人達。貧しいなんてものではなく、言葉でとても言いつくせない程悲惨な状態で、今日も沢山の人が亡くなっています。その上、未だに世界中で戦争が行われている。どうしたらこの状況を止める事が出来るのか。今、僕はそればかりを考えています。

 こんな悲惨な状況のこれからを生きていく君達は、自分さえよければ良いという利己的な考えではいけない。真面目に頑張って勉強して世界を良くしてくれと、沢山の人が言うかもしれない。けど、僕はそうは言わない。頑張れと言える立場じゃない。君達は僕にとっては宝物だから、無責任な事は言いたくない。でも頑張ってほしいとは思う。矛盾しているけど、君達が立派な人になってくれなかったら、日本という国は潰れてしまうから。

 

芸術を学ぶことは幸せを学ぶこと

——『藝術立国』の本の中で「人類が生き延びることが出来るとしたら、すべての人が平和を愛するしかない。それを可能にするのは芸術の力である」とおっしゃられていますが、人類が生き延びる術は、本当に芸術の力しかないのでしょうか?

 芸術だけです。全ての人が全ての人の幸せを願うことが出来なければ、人類は必ず滅亡していきます。それに対抗するのが芸術なのです。全ての人を幸せにしていくのが芸術の力です。

——確かに、芸術作品を見て人は心を動かすかも知れません。しかしそれが、どう他の人を幸せにすることに繋がるのでしょう?

 例えば、君がひたすら美しい物を大事にして頑張って描いた絵を観た友達が、「あの人は凄い絵を描くな」「あの人の絵を観ていたら元気が出てくる」「あんな風に私も作りたい」と感動するかも知れない。そのことが実は、影響しているんじゃないかな。こうしたら賢くなるとか、ああしたら幸せになるとか、口で言うよりは行動で示す事だと思う。芸術が直接、人を幸せにするというよりは、芸術に触れて感じた何かが巡り巡って人を幸せに出来るのではないかと思う。芸術を学ぶということは、幸せを学ぶということかも知れないね。

——では、芸術の力で世界を救うために、私達学生は今の社会情勢や社会問題に対して何が出来るのでしょうか?

 特効薬があるわけではありません。毎日学校へ来て、勉強をする合間に友人と話をする事が大事なんです。「もっとこんな風にしていったら良いんじゃないか」とか「これから世の中をどう変えていこうか」「何の為に芸術を勉強しているんだ」と今君たちが直面している問題について語り合ってほしい。平和というのは、誰かが何かを持って、見せて、なるようなものではなくて、汗を流して血を流して一生懸命努力をしなかったら、保てない。だから、藝術立国とは、言葉は良いけども、本当はとても難しい。ほとんど不可能な話です。だから……。

——社会情勢や矛盾をどうにかしようと努力し続ける事が大切なんですね。

 そうです。ほとんど不可能だからと諦めずに、とにかく語り合う事が大事なの。それが実は平和を保つ事になるし、芸術を豊かにする事になる。芸術は人間を幸せにする為にあるんです。気が付いていないかも知れないけど君達がその先頭に立っている。だから、芸術でみんなを幸せにしよう、困っている人を助けていこうと、貧しい人の為に、少しでも役に立ってやろうと行動していってほしい。それが芸術です。

 

これから何があっても、決して絶望してはならない。

——最近の風潮として、何かと“社会のせい”にしがちではないかと思う事があります。私の友人にも、頑張り方が分からないというか、頑張っても仕方がないと考える人が多いように感じます。そういう友人に対して、私が出来ることはないでしょうか?

 ある。そういう人たちと、たまに集まりを持ちなさい。そしてうちの学校が、どんな学校か、何を考えている学校なのか、そういうことを話してやって頂戴。うちの学校との縁を作ってやって下さい。手紙でもいいですよ。今日こういう事があったとか、こういうことを感じたと、そういう話をして、勇気づけてやって下さい。どんなことがあっても、へこたれはならん。放棄したらあかん。決して絶望してはだめです。闘っている内に必ず幸せがやってきます。幸せになれるかも知れないのに、自分は幸せにならない、不幸な人間だと思ってしまったら、自分から幸せになることを放棄してしまうことになる。それでは幸せがやってこれないじゃないか。「幸せの宿る身体になって下さい」と言ってあげたら、きっとその人は勇気づくんじゃないかな。

 

京都造形芸術大学創設の想い

——大学の話が出てきたので、京都造形芸術大学についてお話くださいますか?

 この大学は比叡山の麓にあるのです。本来ならこの場所に建物を作ることは出来ないのですが、なんとかして造ることが出来ました。ここは素晴らしい場所です。学生は階段ばっかり(ⅰ)で歩くのは大変だと怒るような場所だけど、「この階段は天に昇る階段だから足腰を鍛えなさい。そしてこれからの人生を立派に生きていってくれ。一歩一歩階段を上がる事。それが、一歩一歩前進して行く事に繋がる。一歩一歩、自分が成長していく事に繋がってくる」と、僕が話をする事によって、その子達は「ああそうだったのか」と、「それを聞いてから階段を上る事がとても楽しい気持ちになってきた」と、この大学を卒業した子供達は皆そう言ってくれている。一つ一つの出来事が、必ず意味を持っている。意味のない事はないんです。

——そんな思いが込められていたんですね。

 場所が場所だから大きな大学は作れなかったけど、中身の濃い大学になったと思う。その為に、子供達の将来を本気で考えてくれる先生を集めた。だからここを卒業した子供達は必ず人生が豊かになります。僕は今その為だけに生きています。

 

お袋からの手紙

——今までのお話を聞いていると、本当に命がけで、前を向いて生きているのが伝わってきます。そんな理事長の転機になったのは、獄中に届いたお母さんからの手紙だとお聞きしたのですが、その時の事を聞かせてください。

 僕が鉄格子の独房で寝ていた時のことでした。ガチャンガチャンと音がしたからふと見たら、鑑識課の課長が立っていて僕に手招きをしました。鉄格子の傍へ行ったら、間から僕に手紙を出してくれて、何にも言わずに、「徳山君、君、良いお母さん持って幸せやな」と言って、出て行ったんです。僕は、その言葉の意味がよく分からなかった。きっとお袋が僕を叱って、警察の言う事を聞いて、早いとこ喋って、勘弁してもらって出てきなさいと書いてあるのかな、それを見て良いお袋持って良かったなって言っているのかと思ったんです。そう思うと腹が立って、読む気もしなかった。でもやっぱり読みたくて、手紙を枕元に置いて読もうか読むまいか、ハムレットのように苦しみました。

——様々な葛藤があったんですね。

 でも、とうとう読みたいという誘惑に駆られて、手紙を開けて読んでみました。お袋は、田舎者のばあさんだけど、とても達筆だった。文章も良かった。枕詞は何にもなくて、「貴方は元気で頑張っているようだな。母も元気で頑張っているから、何も心配はいりません」と書いてあり、「今、あなたは自分が信じた道を歩いているのだから、どんなことがあってもへこたれてはなりません。そして今日は忠告しておきたいことが一つあります。それは、どんなに辛いことがあっても、どんな苦しいことがあっても友達だけは裏切ってはいけません。母はそのことだけを心配しています」と続いていた。これを、たまたま課長が読んで感激したみたいだね。それで課長は「徳山くん、君、良いお母さん持って幸せやな」と言ってきた。これぞ母らしい母だと思ったんだろうな。女は弱し、されど母は強し。そう思ったんでしょう。

——手紙に書かれていた言葉が、今の理事長の考え方のひとつの柱になっているんですね。

 そう。だからその手紙はとても大事で、僕の人生はお袋の手紙一本で決まりました。そして、その手紙と一緒に吉田松陰の伝記を書いた奈良本辰也先生の『吉田松陰』が入っていた。それを読んで生まれて初めて吉田松陰という男を知りました。

 

吉田松陰と徳山詳直

——理事長の吉田松陰に対する思いを聞かせてください。

 吉田松陰は真面目すぎる。警官と、幕府の役人を前にして、真実を語って嘘を言わなかった。全部本当の自分の気持ちを語った。松陰は、至誠は天に通じると信じていた。これほど松蔭を愛して、人生を掲げて生きている。正門から続く長い階段を登りきった場所に松陰の銅像があるでしょう? 僕の夢だったんです。彼のように人生を立派に生きることは難しい。だけど真似事をしてみたい。だから松陰の村下村塾のような大学を創ろうと思った。それが京都造形芸術大学です。そうして松陰の真似をしている内に、少しずつ、似てくるかも知れないと思って自分で自分を楽しみにしている。だけどもうこの歳になったのに、ちっとも賢くならない、本当に残念。でもまだまだ生きている限り、闘ってみせる。とことん闘いたいと思う。

——私も理事長のように、闘っていきます。今日はお話を聞けて、芸大生として不安だったことを一緒に考えて頂き、自分のこれから出来ることを見定められたように感じます。本当にありがとうございました。

自分の周りの人―家族、友達、そしてできることなら日本のすべての人を幸せにしたいと思っていましたが、理事長の著書『藝術立国』を読み、実際には何ができるだろうと悩んでいました。今回インタビューさせて頂き、82歳になった今でも徳山理事長の必死に生きる姿に感銘を受け、私も同じように生きることができると知り嬉しかったです。何をしていいかわからなくてもまず、実行していくことが大事だと分かり、私にも出来ることは必ずあると言って頂いて涙が出るくらい嬉しかったです。芸術力とは何か、考えた時それはその絵について知らなくても、絵を通して人々の心を動かす力なのかもしれない。芸術の作品を見て感動し、優しくなり、人間らしさを保ち、幸せにする力が芸術にはあると思います。お金や物の豊かさだけでは幸せとは言えないと思います。しかし芸術の力だけでは生きていけないという現実があります。その中で若者達が現実と向き合いながらも、みんなの幸せを願い考えて行動する事が一番大切ではないでしょうか。今回のインタビューを通し、私は自分がしたい事や貢献ができることをし、それを芸術にいかに昇華して人々の幸せに繋げれるか、という芸術に対する姿勢について深く考える機会をいただきました。これから様々な世界の人々を幸せにするために芸術を学んでいきたいと思います。最後にこの場を借りてインタビューに応じて頂いた徳山詳直理事長に謝辞の念を加えて伝えさせていただきます。(青木美穂)

Profile

徳山 詳直(とくやま しょうちょく )―島根県隠岐島(隠岐郡海士町)出身。同志社大学時代の共産主義の学生運動により7回投獄される。獄中に母親が手紙と共に差し入れた『吉田松陰』(奈良本辰也著)を読み、吉田松陰のようになりたいと強く感銘を受ける。1977年、学校法人瓜生山学園京都芸術短期大学を設立。1991年、京都造形芸術大学を開学。1992年には山形県並びに山形市と提携し、東北芸術工科大学の設立に関わる。現在、京都造形芸術大学、東北芸術工科大学、財団法人日本文化藝術財団理事長を務める。学校法人瓜生山学園学園長(前理事長)

本文中の役職、肩書き、固有名詞、その他各種名称等は全て取材時のものです。

京都造形芸術大学 理事長室にて

ⅰ 瓜生山の麓から続く大学のランドマークの一つ。大階段と呼ばれ親しまれている。学園歌『59段の架け橋』のモチーフにもなっている。正門、人間館、至誠館を一直線に貫くように延び頂上には吉田松陰の像がある。

徳山詳直さんは2014年10月20日に他界されました。心より御冥福をお祈りいたします。

著書『藝術立国』幻冬舎

幻冬舎ウェブサイト書籍紹介ページ

http://www.gentosha.co.jp/book/b2230.html

より引用

bottom of page