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コミュニティデザインについて

——山崎さんは大阪府立大学の農業工学科に入学後、緑地計画工学に進路変更をされたと著作『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』で語っておられましたね。なぜ変更されたのですか?

 僕が高校生の頃、「英語、コンピューター、バイオテクノロジー、この三つは21世紀になったら、すげぇことになるぞ」と言われていました。この三つの内のどれかやると多分一生食っていけると親や担任の先生も口を揃えていたんです。そこでまず中学に入って英語を勉強したのですが、どうも苦手でした。次に、コンピューターなのですが、当時はまだ今みたいなコンピューターではなく黒い画面に文字を書いていくもので、あまり面白いと感じなかったんです。それで残されたのがバイオ。じゃあバイオはどこで学べば良いのかなと調べたところ農学部だと分かりました。工業にも興味があったので農業工学科が良いだろうと思い、農業工学科に入ったのですが、そこではバイオを学べなかったんです。農芸科学科というところでないとバイオテクノロジーを学べないみたいで、「間違えた!」って思いました(笑)。しかし、すでに合格していたので、もうしょうがないですよね。それで大阪府立大学の農業学部・農業工学科というところに入学しました。結局、自分が想像していたようなバイオは学べなかったので、どうしようかなと少し途方に暮れていたところ、同じ大阪府立大学に緑地計画工学という学科があるのを知りました。そこではオシャレな公園を作ったりしていて、「あ、かっこいい。ここだ」と思い進路変更したのが経緯、きっかけです。

——それが現在されている事と繋がっているのですね。「コミュニティデザインⅰ」を始めたきっかけはなんでしょう?

 カッコイイ物やオシャレな物って、器用な人ならすぐに作れるかも知れません。けどそれだと、あまり必要のないものが世の中に増えていくばかりですよね。そう思い始めた時から、世の中で困っていることを解決していくことがしたいと思いました。「困っている人の問題を解決する」と言ったら普通は福祉のようなことを思い浮かべるのではないでしょうか。高齢者や、障がい者、あるいは子ども、いわゆる弱者と呼ばれる人たちを政策、経済で救ってあげましょうというのが今までのやり方でした。そこにデザイナーはあまり関わってこなかったのです。デザイナーの出来ること、例えば高齢者の買い物支援のためのデザインとか、障がい者が服を着替えるための着替えやすい服のデザイン等はあまり考えてこなかったんです。しかしこれからは人口が減っていく時代です。新しいものを欲しがる人も減るのではないでしょうか。しかし人口が減ろうとも社会的な課題は残ります。それらを一個一個乗り越えて解決できるようなもの、自己表現としてのデザインではなく、「社会の問題を美しく解決するデザイン」をしたいと思ったんです。それがこの仕事を始めたきっかけです。

——「コミュニティデザイン」の仕事をされていて良かったことを聞かせてください。

 各地に行けば行くほど知り合いが増えて、もし明日、仕事が全部なくなったとしても、「うちにおいで」と言ってくれそうな場所が、全国に50カ所くらいあります。知らなかったことを教えてもらえたり、時には各地の美味しいものを送ってもらえたり、活動を通して人との繋がりの力を実感しています。たぶんこの仕事をやったら、みんなやみつきになって誰も辞められないと思いますよ(笑)。もう楽しくて仕方がない。

 

芸術大学で教える

——山崎さんは様々な大学で講義をされていますが、なぜこの大学(京都造形芸術大学:以下「京造」)で教え始めたのですか?

 事務所ⅱを立ち上げて仕事をすることで、社会に対してこういうデザインもあるんですよ、と発信していくことを5年ぐらいやっていたんです。プロジェクトも上手くいって、皆がそういう仕事もあるのかと理解をしてくれるようになりました。ただ、講演会をする度学生に「どこの大学で学べますか?」と聞かれるようになってきました。それは僕に聞かれてもなと困っていたんです。そんな時に、京造の空間演出デザイン学科の学科長をしてくれないかと依頼され、自分のやっている事を伝えるには、自分で教えるのが一番だと思ったのです。

——芸術大学は物を作る場所というイメージがありますが、山崎さんは物を作らずに問題を解決されています。そのことを学生たちにどう伝えているのですか?

 芸術大学の学生はデザインをして最終的に何を作るのかが問われています。今まで物を作ることがすごく注目されてきたので、物を作らずに価値を作っていく事をどういう風に伝えていくか、それは確かにとても難しいことだと思います。ものづくりの現場から社会の課題をどういう風に解決していくのかを学生たちに伝えたいと思っています。それをもう少し応用すると、物を作らずとも人の繋がりの力で社会の問題を解決していく事ができると思います。大学院生レベルになったらそんなことをしてもいいと思います。ただ、何かを作ろうと思って大学に入って来ている人が多い学部生には、それはまだ難しいかも知れません。なので学部の学生達には、まずは物を作って社会の問題を解決していくことを伝えていきたいと思っています。

——京造のこども芸術学科ⅲではどのような事を教えられていたのですか?

 僕はあまり教えるということはしません。こども芸術学科で教えていた時、これから何をしようかと学生が集まってアイデアを出して、授業でやりたい事を言い合い、用意する物や、いつやるのかを学生たち自身が決めていくというスタンスで授業をしていました。僕自身は幼児教育や芸術が専門というわけではないので教えることがあまりないのです。プロジェクトを進め、失敗してしまったら反省し、次に活かしていく。学生にはそれを繰り返していってほしいと思っています。現在は空間演出デザイン学科で教えていますが、ほぼ同じ事をしています。

 

東日本大震災(3.11)後について

——『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』という本の中には阪神淡路大震災(1.17)によって意識が変わったとありましたが、3.11でさらに何か意識が変わったことなどありますか?

 僕は1.17に関西にいた大学生として、かなりのインパクトを受けました。見慣れた愛着のある街が見る影もなく壊れ、多くの死傷者が出てしまいました。建築家やデザイナーが作り上げた建物や街、本来なら人が豊かに暮らすためにデザインされ作られたものが、命を奪う凶器となってしまったのです。僕はあの時に自分の中の色んなことが揺さぶられ、ものをつくるという意味が分からなくなってしまいました。3.11が起きた後の風景も、これからのプロセスもみんな、1.17と被ると感じるので3.11によって価値観が変わったということは特にはないですね。

——3.11後に京造と東北芸術工科大学で「こどもの家」ⅳというプロジェクトをなさっていますが、京造のこども芸術学科で教えていた時のことが活かされていますか?

 こども芸術学科の浦田先生ⅴにはプロジェクトのアドバイザーとして来ていただいています。あの方は震災後の子どものPTSDⅵについても研究をされていて、子どもたちのケアにも詳しいのです。3.11以降の子ども達についても、色々アドバイスを聞かせていただいたり、「こどもの家」にも少し関わってもらっています。「こどもの家」の基本的な考え方は「震災を経験した可哀想な子どもたちに愛の手を」ではありません。千年に一度にしか合わないある意味で貴重な体験をした子ども達は「震災体験エリート」です。3.11を経験していない子ども達とは違い、勉強の偏差値だけあればいいとは考えられなくなってしまった世代なんです。今までは偏差値だけでやっていてもすごい物が出来たという時代だったんです。だから物理や科学を頑張って研究して、技術を発達させてきました。しかしそれだけでは駄目で、宗教とか哲学、芸術という側面も育てていかないといけないと思いました。なぜなら原子力で、ものすごい電力が出ることは分かっても、それだけでは正しい判断を下せなかった。物質や金銭、経済だけではない豊かさというものが必要なんです。今の教育はそういった面が脆弱です。「震災体験エリート」の子ども達には、週末のワークショップで、今までの価値観を疑ってもらおうと思っています。

——「こどもの家」を運営するに当って資金集めなどはどうなさっているんですか。

 資金集めは、京造と東北芸術工科大学にはアート系のつながりがたくさんあるので、国内外含めてアーティストに作品を寄付してもらい、それをオークションにかけて集めようと思っています。難しいのは約10年間の運営費用です。子ども達が18歳になるまでさまざまなワークショップやアートプログラムを実施するわけですが、そのための費用として毎年まとまった資金を集め続けなければいけません。震災の記憶が風化することを考えると、僕の感覚では3年目あたりが凄く大事になってくるような気がしています。今すぐ必要なお金は恐らく順調に集まると思うのですが、その後の資金集めをよく考えなければいけないなと思っています。

 

人とのコミュニケーション

——山崎さんは色んな人と関わり合ってプロジェクトをやってらっしゃいますが、コミュニケーションに困ることはなかったんですか?

 それがあまりなかったんです。昔からよく喋ると言われてきました。コミュニケーションが上手い下手に関わらず、常に人とコミュニケーションを取りたいと考えていたんでしょう。今も毎日喋り過ぎていて、自分でもちょっと静かにしていたいなと思うくらい、充分過ぎるほどコミュニケーションを取っていますから、コミュニケーションが取れずに困るという事はあまりありません。

——人と関わる中で、「“この人はこれが得意なんだ”“あの人はこれが得意なんだ”と会話の中で分かるようになってきた」とおっしゃっていました。何かきっかけはあったんですか? 子どもの頃、親が4年に一度転勤をしていたので、連れられて転校を繰り返す中でクラスの人の役割をなんとか見抜いていこうとしていました。やっぱり人の事をよく見ていたんだと思います。それが大きいのかも知れませんね。しかし、人の顔色を伺って生きていくなんて、「なんて嫌な生き方なんだろう」と思っていた時期もありました。ですが、今は仕事で集落に入ってこの人が偉い人なんだ、とすぐに分かります。結果的には幼少期の体験が生かされているのでしょう。

 

これからの目標

——最後に、これからの目標をお聞きしたいです。社会には子ども達の問題、障がい者の問題、高齢者の孤独死など多くの問題がありますが、まず一番に解決しないといけないと思うことはなんですか? 色々と問題はありますが、僕は人と人の繋がりが無くなりすぎて色んな問題が起きているんじゃないかと思っています。「社会の課題を美しく解決するデザイン」をすると言っても、一個一個の課題をモグラ叩きみたいに解決していっても埒があきません。それらが、なんの要素から生まれてきているのかを見つけて、そこにアタックする必要があります。社会の深層にいくつかの構造的な問題があり、その一つは繋がりがあまりにも希薄化してしまったことだと考えています。それを解決するため、コミュニティデザインという繋がりを生み出す仕組みづくりをしたいと思っています。そのために元となっている問題を把握しておく必要があるのです。表面に出てきている問題の事例を多く見つめていき、一体どういう問題から生まれてきているのかをよく観察すると、共通点がいくつか見えてきます。その共通点に対して解決策を提案していきたいと思っています。

 

 

 

社会の課題を

美しく解決するデザインとは

01

山崎 亮さん

取材時の様子

Interview! vol.01_誌面

脚注

 

ⅰ 住民と行政、住民と民間企業など、地域に根ざした協働事業を支援し、最初に「正解」を提示するのではなく、そこに住む人たちのモチベーションに働きかけ、最終的には行動できるように、プロセスをデザインしている。

 

ⅱ2006年、株式会社studio-L設立。

http://www.studio-l.org

 

ⅲ京都造形芸術大学にある学部。国家資格である保育士資格と遊びのプロフェッショナルである児童厚生一級指導資格が取得できる。

 

ⅳ被災地のこどもサポートに関する活動を、「こども芸術の家プロジェクト」と名づけ、被災地のこどもたちが次世代の東北・日本を担う大人になっていくことを願い、アーティストが開発する想像力と創造力を育むワークショップ型プログラムを、長期にわたり提供していく。京都造形芸術大学と東北芸術工科大学のスタッフで組織するプロジェクト実行委員会(委員長:山崎亮)が両大学の調整役となり、事業運営していく。

 

ⅴ浦田雅夫(児童家庭福祉・心理臨床)京都造形芸術大学・こども芸術学科の准教授。

 

ⅵアメリカの精神障害の診断統計マニュアル(通称DSM-IV)にある診断名の1つ、"Post-traumatic Stress Disorder" の略称「外傷後ストレス障害」のこと。強烈なトラウマ体験(心的外傷)がストレス源(ストレッサー)になり、心身に支障を来し、社会生活にも影響を及ぼすストレス障害。

『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる』(学芸出版)山崎 亮 (著) 

studio-L 書籍

本文中の役職、肩書き、固有名詞、その他各種名称等は全て取材時のものです。

今、人と人の繋がりが社会で問題になり、コミュニティデザインという新しい方法を用いて、物を作らず多くの土地の問題を解決している山崎亮さん。芸術を学んでいる私たちは芸術によって人々に、この社会にどんな事をしていけるのか。また、山﨑亮さんの著作『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』学芸出版(2011)を読み、疑問に思った事も聞いた。

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山﨑 亮(やまざき りょう)

1973年愛知県生まれ。1992年 大阪府立大学農学部入学。1995年 メルボルン工科大学環境デザイン学部留学(ランドスケープアーキテクチュア学科)。1997年 大阪府立大学農学部卒業(緑地計画工学専攻)。1999年 大阪府立大学院農学生命科学研究科修士課程修了(地域生態工学専攻)。設計事務所で勤務を経て2005年独立。住民参加型の大規模公園の計画作りや建築などのランドスケープデザイン(周辺環境との調和に配慮した設計)を手掛ける。現在は京都造形芸術大学・空間演出デザイン学科 学科長。『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』学芸出版社(2011)、『まちの幸福論 コミュニティデザインから考える』NHK出版(2012)、『コミュニティデザインの時代』中公新書(2012)、『ソーシャルデザイン・アトラス』(2012)など多くの本の出版も手掛ける。

私はこども芸術学科で学んでいます。大学の授業の中で障がい者や子ども達といった、社会的には弱い立場にある人たちのことを深く知り、芸術という道具を駆使し、私には何が出来るのだろうと思っていました。山﨑亮先生へのインタビューを通して、先生はいろんな社会の問題の本質を理解し、人と人の繋がりをデザインして、解決されていると知りました。芸術を学んでいく中で物事の本質を見抜く力を養い、その力を社会の中で活かせていければと今回のインタビューを通して感じました。(津田智子)

・関連書籍

『山崎亮とゆくコミュニティーデザインの現場』

(繊研出版新聞社)渡辺直子(著) 

studio-L 書籍

『山崎亮とstudio-Lが作った 問題解決ノート』

(アスコム)山崎 亮 +studio-L 

studio-L 書籍

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芸術大学で教える
東日本大震災(3.11)後について
人とのコミュニケーション
これからの目標
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